笑う門には福来る

津軽三味線の意外な歴史について。

津軽三味線の歴史にふれてみよう!!

 

 こんにちは。かんちゃんです。

今回は津軽三味線の歴史について少しずつ解説していこうかと思ってます。

 

 津軽三味線の始まり!

 

 

まず最初におことわりしなければいけません。

津軽三味線の歴史なのですが、明確に資料が一切残されておらず。

私の提供している情報が正確な物かは誰も判断できないものとなってしまっているという事なのです。

 

今となってはこんなにもメジャーな邦楽器の一部なのに何故このようなことになったのかを説明いたします。

 

 

 

まず津軽三味線という名称ができたのは70~80年前からだと言われてます。

日本に伝わる三味線はもっともっと古く何百年も前から日本に伝わってるらしいです。

 

津軽三味線自体の歴史の始まりは、実はそんなに古くなく150~160前と言われてて。

時代は江戸幕府から明治時代に変わるさなかだと言われてます。

 

江戸時代は誰もが三味線を演奏できなかったみたいなのです。

江戸時代は何かと規制が厳しく、身分制度もあり、今で言う「趣味」に関しても誰もがたしなめるものではなかったようです。

たしなもうと思っても、庶民にそんな余裕はなかったようですが。

 

この時代の三味線は藩主に努める「当道組織」という盲目の組織だけが演奏できたといわれてます。

 

ちなみに「尺八」は虚無僧と呼ばれるお侍さんしか演奏できなかったようです。

 

しかし江戸時代末期から明治時代に突入するころには江戸幕府の規制も無くなり、だれでも三味線や尺八が演奏できるようになりました。

 

そんな中、どのような方々が三味線や尺八を演奏したかと言うと。

 

   「坊様」

 

と言われた方々です。

 

そうです目の見えない盲目の方々が、趣味ではなく生活の糧に三味線や尺八を演奏していたのです。

※このころはまだ津軽三味線とは言われてません。

 

当時は福祉に関する制度は、皆無!!!

このことは詳しく解説すると悲惨な事になるので割合させてください!!

 

当時の盲目の方は、今で言う「マッサージ師」「坊様」になるかの2択しかなかったようです。

 

何故、津軽三味線史が闇に包まれていたか?

 

 

ここで「坊様」の事を少し。

 

「坊様」とは男盲で三味線や尺八を演奏して生活の糧にしてる方たちの事を言います。

 

この様に表現すると、なんだ三味線や尺八のプロ演奏家じゃないか?と思うかもしれませんが・・・・・

 

当時はそうではなかったようです!

三味線を掻き鳴らし玄関先で門付けしたり、城下町で大道芸として演奏したりしながらわずかなお金やお米を恵んでもらいとても苦しい生活をしていたみたいですね。

 

坊様の多くは家を持てなくお寺の境内の下とかで雨風をしのぎながら生活していたそうです!

 

その様な先祖の事を今の時代になって誰が取材に応じるでしょうか!!

先祖の恥を公表したいと思う方はまずいませんよね。

なので取材しても誰も取材を受け入れてくれなかったそうです。

 

そしてその時代をリアルに知っている方は、もうこの時代にはいません。

 

ですがこの時代に確実に津軽三味線が産声を上げていたことは確かな事なのです。

 

津軽とは

 

津軽とは青森県

東北地方は昔は「粘り強さ」と「ジョッパリ」「エフリコキ」な気質が強かったと聞いてます。

「粘り強さ」は今でも良く言われてますよね。

 

「ジョッパリ」とは、強情という意味だそうです。

「エフリコキ」とは、見栄っ張りという意味だそうです。

 

この「ジョッパリ」と「エフリコキ」の精神が津軽三味線津軽三味線にした理由なのではないでしょうか。

 

当時「坊様」は同じ坊様同士で技術を切磋琢磨してたそうです。

他の坊様と同じ曲では稼げないからという理由で。

そこに「ジョッパリ」と「エフリコキ」が加わりそれはそれは壮絶な切磋琢磨だったのでしょう。

 

その頃の「坊様」の明確な情報はほとんどないのですが、奇跡的に数名の演奏者が記録に残っています。

 

その中の一人「仁太坊」という方が今の津軽三味線の始祖だと言われてます。

 

現在の津軽三味線奏者や津軽三味線流派の歴史をたどると、必ずこの「仁太坊」にたどり着くと言われてます。

 

正確には「秋元仁太郎」という方です。

安政4年生まれで北津軽金木神原村で生を受け、8歳の時に天然痘にて視力を失います。

 

数ある坊様が点だとして、坊様と坊様を線で繋ぐと必ず「仁太坊」にたどり着きます!!

 

と言う事で次回はこの「仁太坊」について色々と説明できればと思っていますので宜しくお願いいたします。

 

後記

次回は津軽三味線の始祖、仁太坊について説明いたします。

 

拝読していただきまして、ありがとうございます。

次回もどうぞ宜しくお願いいたします。